Humanities and Social Sciences Researchers

異国の宣教師が作った文献から、日本語の実態を探る

人文社会科学

イエズス会がもたらした「キリシタン版」

 私は日本語の歴史を研究し、その中でも16世紀ごろに作成された「キリシタン版」という文献を専門に取り扱っています。キリシタン版とは、キリスト教を広めるため日本に来訪したイエズス会の宣教師たちによって作成された文献の総称。日本語の辞書や文法書のほか、宗教書を日本語訳にしたものなど、その内容は多岐にわたります。
 この文献が持つ特徴の一つとして、海外から見た日本語の評価を知れることが挙げられます。世界規模での布教活動を通じ、宣教師たちはさまざまな国と地域において、現地の言語に関する文献を作成してきました。ヨーロッパの言語に比べて品詞の形態変化が少ないことに着目したり、日本古来の和語と中国由来の漢語が融合していることを独自の文化だと認めたりと、キリシタン版の文法書では、多くの言語に触れてきた教師ならではの分析を垣間見ることができます。
 当時の出版元の公式記録によれば、16世紀末から17世紀初頭にかけて約1000~1500部ほどのキリシタン版が発行されました。しかし、日本で同時期に制定された禁教令により、そのうちのほとんどは失われてしまったのです。現在はわずか30点ほどの文献がイエズス会とともに弾圧を逃れ、ヨーロッパを中心とした世界各地に点在するのみとなっています。

地球の裏側まで旅をした辞書

 今回はそのキリシタン版の中から、ポルトガル人の宣教師が作成した日本語の辞書、「日葡辞書」についてご紹介します。約33000語にも及ぶ日本語に対しポルトガル語で丁寧な解説が加えられているこの辞書は、中世の日本語を研究する上では欠かせない存在。国語辞典という概念がまだなかった時代において、日本語を基礎から定義づける資料は大変貴重なのです。
 日本語研究の要となるこの辞書ですが、国内ではすでに絶滅し、イギリス・フランス・ポルトガルの各国に1冊ずつしか存在しないと考えられていました。しかし数年前、私は新たに4冊目となる辞書をなんとブラジルで発見したのです。サンパウロ大学の客員教授としてキリシタン版の講義を行う傍ら、現地の国立図書館に見学へ赴いた際の出来事でした。
 なぜ日本ともヨーロッパともほど遠い南米の地で発見されたのか、その理由は主に3つ考えられます。1つ目は、ポルトガル王室が当時支配下に置いていたブラジルへ遷都する際、イエズス会の資料が王室の所有物として運ばれたという説。次に、文化人として有名だったブラジル遷都後の皇帝、ペドロ二世がヨーロッパから取り寄せたという説。最後は、南米でも布教活動をしていたイエズス会が偶然ブラジルに持ち込んだという説です。3つの仮説のうちどれが正しいのかは今なお研究中ですが、どのような経緯であれ、今回の発見が国家間の関係性の歴史をもひも解く鍵になることは間違いありません。

ブラジルで発見された「日葡辞書」

分野を越えた交流から人文学研究の意図を考える

 このように、一つの文献はその成り立ちや変遷を含め、あらゆる事象を内包するのです。私は日本語学の立場からキリシタン版に記されている内容を主に研究していますが、そもそもなぜイエズス会がヨーロッパからはるばる日本へやってきたのか、彼らがキリシタン版の出版資金をどのように捻出したのか、日本における宣教活動はどのような状況であったのかなど、文献が作成されるまでにもさまざまな背景が存在します。人間社会科学研究科の再編によって、研究分野を越えた交流が可能となったことは、こうした文献研究をより複合的に行うための良い機会になると考えています。
 この人間社会科学研究科において、学生の皆さんにも、今までに学んできた分野にとらわれない、幅広い知識を身につけてほしいです。多彩な角度から対象を捉えることで、研究テーマをより深めることができるでしょう。また、さまざまな学習背景を持つ学生と交流する場は、研究者である我々にとっても良い環境です。専門外からの「なぜ」「どうして」といった素朴な疑問は、研究者が自身の研究の意図や方向性を見つめ直すきっかけを与えてくれます。成果が世間から見えにくい人文科学系の学問では、研究の意義を明確化することは非常に重要です。これからも原点に立ち返る姿勢を忘れずに、日本語の歴史を解明していきたいと思います。

ブラジル、サンパウロ郊外にて